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淡水廳の設立は「淡」蘭を起点としており、当時の台湾の発展が南から北に向かって徐々に進んでいたことを表しています。
暖暖から三貂嶺、頂雙渓(平埔族の人たちが狩猟で歩いた山道)まで繋がり,後に白蘭氏は淡蘭古道の開拓者とみなされるようになりました。
黄廷泰が頭圍から泰平へ向かって開墾したところ、ここに広々として平らな土地があることを発見。その後、人々を率いて開墾しました。丘陵地ではクスノキが採取でき、河谷の平坦な場所では米やサトウキビを栽培することができたため、地元住民にとって重要な経済源となりました。
清国が英仏連合軍戦争に敗れた後、通商のため、淡水や基隆などの港を開放することに同意しました。当時の台湾の経済貿易源は茶葉が最大で、市場の需要の増加に伴い、間接的に淡蘭南路(茶道)の開拓も行なわれるようになりました。
1885年に台湾省が設立され、劉銘傳が初代巡撫に任命されました。茶葉による経済成長に従って政府は淡蘭便道を切り開く工事に力を入れるようになりました。この道は噶瑪蘭を往復する道路として大幅に縮小されましたが、現在の台北と宜蘭間の主要な道路となっています。
200年の歴史をもつ「淡蘭百年山道」。この道は台湾の清朝時代における北部の「淡水廳」から東部の「噶瑪蘭廳」までの往来の歴史を見つめてきました。美しい景色と広範囲にわたる歴史文化の物語が蓄積されています。近年、政府は民間と協力し合い、入り組んだ古道を手で修復する工事を進めています。2018年には「北路」、「中路」、「南路」の三大道路網ができあがりました。淡蘭古道は現在、「国家レベルのエコ歩道」に指定されています。豊富な歴史文化と環境生態に恵まれているほか、エリア内は特色あるテーマ別の旅行ルートが設けられています。登山の初心者、または探険家にかかわらず、自分に適したルートを探すことができ、淡蘭古道の独特な魅力を体験することができます。新しくできた観光スポットですが、行楽客の方は外国に訪れる必要はなく、台湾で「国際レベル」の長距離歩道のハイキングを体験できます。
台北淡蘭文化コースは淡蘭の百年の歴史を誇る山道の台北側の起点です。登山レジャーコースとは異なり、主に古道の精神と文化コースの概念に基づいています。線状の空間を通して海と山の資源、自然景観、史蹟などを結び付け、人々を淡蘭の歴史的なスポットへと導きます。
「北路」は最初に開発され、史料でも最も記載が多い区間です。先民たちが狩猟し、移動する際に用いられた山道で、その後は政府が反乱を治め、討伐する際に用いていました。巡查や海防の通路として用いられるようになり、官軍の兵士が定期的に通行の安全を見回ったりしていました。民間が通行や通商、開拓、修築に使用する機会が加速し、さらに整備され、より多くの近道ができました。 現在、政府および民間が協力し合い、「北路」沿いの歴史の脈絡を「燦光寮古道」、「楊廷理古道」および「入蘭正道」といった三大古道に分けています。
「中路」は庶民の暮らしに用いられていた道路であり、オフィシャルな歴史的な記録はほとんど残っていません。現在の史料に記載されている「蘭入山孔道」および「黄総大坪」の古道、集落の開墾、農産業の種植え、および運送の過程から探究し、淡蘭中路のコースが構築されました。 現在は「暖東旧道」および「蘭入山孔道」の二大古道に分かれています。
「南路」は清朝時代の重要な経済源だった茶を運ぶ道でした。かつて政府による便利な道路を開通する計画は頓挫し、先祖たちは道を探しながら山に分け入り、茶を植えました。後に台湾で港が開かれ、通商が始まると、茶は最も重要な輸出商品になりました。政府はこうした状況に直面せざるを得なくなり、台湾巡撫の劉銘傳は宜蘭まで通じる山道を切り開きました。この南路は現在、「淡蘭便道」と呼ばれています。
宜蘭に熟知した専門家や学者、および地方の座談会を通して、県史館や蘭陽博物館、地元の人々および里長(町内会長に相当)を含め、地元の物語や歴史的情景を提供しています。宜蘭平原コースにより多くの意義を与え、宜蘭県を代表する「風土」のコースとなっています。多くの方々に宜蘭の歴史的物語や自然生態、郷土史を知ってほしいと願っています。
地元の材料を使用し、周囲の自然生態に合わせ、文化的な手作り工法で歩道を維持・修復しています。また、地元の文化や自然の特色と結び付けた独特な標記システムが設けられた長距離歩道です。